5月27日第660回例会(オンライン実施)山口刀也氏の研究発表【プログラムノート】
<第660回例会>
*日 時:2023年5月27日(土曜日) 午後3時~5時(オンラインで実施)
*プログラム:
☆朝鮮戦争期岩国における「山口日記事件」(1953年6月)までの道のり
山口 刀也 氏
司 会 上田 誠二 氏
【プログラム・ノート】
軍事基地が子どもの成長はもとより、その基盤となる生活、ひいては生命そのものまでをも深く脅かす時、学校教育やその働き手である教師には何がなし得るのか。基地問題は国家安全保障をめぐる政治の主題であるとともに、軍事環境問題や性暴力、就業形態や産業形態の変容などをはじめとする負担、被害を強いられる地域においては住民の安全やみずからの自治をめぐる政治の主題でもある。こうして基地問題はその影響から子どもを守ろうとする教師に対してその役割を問うとともに、福祉や政治などの営みとの関わりにおいて「教育」の範疇を問い直す。
報告者は朝鮮戦争期の山口県岩国市の教育をめぐる状況に焦点を当て、基地問題が深刻化するなかでの教育のあり方を調べてきた。これまでは主に公立小中学校の教師の多様な取り組みと役割に光を当てようとしてきた。対して、この度の報告では岩国の教師を取り巻き、それぞれの模索に閉塞を迫ったと考えられる事態に注目したい。
その事態は、「山口日記帳事件」(1953年6月)と呼ばれている。当時、山口県教職員組合は教職員組合のなかでも急進的な単組のひとつとして知られていた。その山口県教組が自主編集した副教材「小学生日記」「中学生日記」(1953年4月)中のコラム欄が「偏向」しているとして岩国において問題視されたのである。通説では、対応をめぐって顕在化した山口県教育委員会と山口県教組の対立を収束させるためにも文部省や日教組が事件に関わったことから、教育と政治の関係に関する議論が広く喚起され、教育の「政治的中立」を掲げるいわゆる「教育二法」の制定を招来するきっかけになった、と位置づけられてきた。教育をめぐる保革対立の激化という1950年代を特徴づける現象の端緒のひとつというわけである。
こうした見解を踏まえつつ、そもそもなぜ山口県教組が県下に配布した副教材が岩国を舞台にして政治問題化したのだろうか。その背景としては、山口県レベルでの教育委員会と教職員組合の対立関係とともに、岩国での反基地拡張・土地接収運動における教師の役割が指摘されてきた。双方は副教材を介してどのような関連を結んでいるのか。報告では、岩国の教育と基地をめぐる状況を軸に据え、教師たちを取り巻いた多様かつ重層的な関係性をときほぐしながら、山口日記事件が生じた仕組み、その発生経緯を考えてみたい。
〔山口刀也氏 記〕