<第684回例会>
*日 時:2026年1月24日(土曜日) 午後3時~5時 (対面で実施)
*会 場:学習院大学 北一号館2階教育学科模擬教室
*プログラム:川口市長 高石幸三郎の川口プランに繋がる教育施策の研究
中山 正則 氏
司 会 大島 宏 氏
【プログラム・ノート】
研究の前提となる事実 研究時期は、1933(昭和8)年川口市市制施行~1947(昭和22)年3月の川口プラン発表までの旧学制下とする。終戦直後、日本各地で新教育のプランが創出された。川口プラン以外は単独校によるものであったが、川口プランだけは、後に地域教育計画と整理される川口市全域の学校(国民学校・旧制中学校・女学校、後に新制中学校が加わる)によるものであった。六・三制による新学制が始まる1947(昭和22)年4月以前に新教育プランとして発表できたのは、川口プランだけで、他は現在計画中の段階でのプラン発表(1947(昭和22)年3月29日新教育研究発表会 於東京九段中)であった。
研究に対する課題意識として、「なぜ、終戦直後、修身・国史・地理の授業の停止されている時期に、埼玉県川口市では旧学制の下(国民学校・旧制中学校や女学校)で市民一体となった新教育、特に市内全校で社会科の研究が開始され、その成果を旧学制下でプラン発表できたのか。」という点に強い問題意識を持った。川口プランの先行研究は数多くあるが、教育施策面からの研究は管見の限り見当たらなかった。戦前からの教育施策や教員人事面を検討することは、戦後の川口プランを見ていく上で、教育史的において非常に価値あるものと考える。
研究方法は、1933(昭和8)年の川口市市制施行から、川口プランが発表される1947(昭和22)年3月までの閲覧可能な川口市の市議会議事録、学校沿革誌、市内学校の周年記念誌などをきっかけに調べ、必要に応じて川口市史編纂時(昭和40年代後半から50年代初頭)に収集した資料に触れながら調べていくこととした。また、研究開始時にただ一人生存していた実践者、小林徳之助氏の川口プラン講演会で聞いたことや、初代川口市長の岩田三史氏の孫で、川口市史編纂の教育史の中心であった岩田聡氏からの聞き取りから明らかにしていくこととした。そして、資料に即して、5つの視点から研究に取り組んだ。(※詳細は当日資料参照)
以上のような資料等を用いて、本報告では川口プラン研究開始時の川口市長で、後に教育市長と言われた高石幸三郎が、戦前の市長就任以来進めてきた教育施策は、どのような経緯で進められたのか、それが戦後の川口プラン推進時にどのように活かされていったのかを考察したい。 (中山正則氏 記)