日本教育史学会

日本教育史学会は1941年から毎月の例会を開始し、石川謙賞の授与と日本教育史学会紀要の刊行を行う、日本の教育の歴史についての学会です。

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11月22日第682回例会(日本女子大学会場)河田敦子氏の研究発表【プログラム・ノート】

11月22日第682回例会(日本女子大学会場)河田敦子氏の研究発表【プログラム・ノート】

<第682回例会>
*日   時:2025年11月22日(土曜日)  午後3時~5時 (対面で実施)
*会   場:日本女子大学 目白キャンパス 百二十年館3階 現代社会学科実習室
*プログラム:幕末明治初期に国際性を育んだネットワーク―宇和島藩城山静一を事例として―
           河田 敦子 氏
       司 会 大戸 安弘 氏

【プログラム・ノート】
 宇和島藩は、10万石の小藩とはいえ、幕末明治初期、議定(慶応3年)、外国官知事(1868年)を任じられ国際性を高く評価された藩主伊達宗城が幕末期に指導力を発揮した藩である。同藩商家出身の一青年城山静一(1851-1898)が、幕末明治初期に、渡米中の高橋是清やハワイ元年者を奴隷状態から救出し、在日英国外交官アーネスト・サトウと交流する等、国際的活動をし得たのはどのような教育を受けたからなのかを本研究は明らかにする。
 幕末明治初期に武士ではない身分の者が、「国際性を育むネットワーク」の中心となって活動し得たこと自体注目に値する。教育史研究の立場から見た時に、どのような教育環境がそれを可能にしたのかを明らかにすることは意義があると考える。研究方法は、資料に基づき城山のライフヒストリーを構築することによって研究する。城山の墓碑には、「資性頴敏年甫十五藩主伊達候擢遣干瓊浦学英語業成集徒優之後就官無幾辞官大自由党盛唱民権君多芸学渉東西語通英仏善国」とある。城山はその資質を藩主に高く評価され、長崎留学を認められ、英語仏語を身に付けていたと記されている。宇和島市立図書館には『宇和島藩教育史資料』全4巻が保存されており、国内遊学の記録が残されている。残念ながら、城山が遊学をする前年までの資料であり、同史料中に城山の名前はないが宇和島藩の教育を知ることはできる。上記『資料』と 他の出版物を基に城山のライフヒストリーを構築し、登場する人物間のネットワークを明らかにする。
 本研究は、筆者が科研費基盤(C)の助成を受けた「ギゾーと幕末日本」という研究の一部である。ギゾーの西洋文明史論がどのように日本に伝播してきたのかを国際的な視野で明らかにすることを目指している。城山は、前述の活動の他に英国外交官アーネスト・サトウを山梨県の知識人(内藤伝右衛門と内藤ます母子、藤村紫朗県令等)に紹介し、彼を山梨県と宇和島を結ぶネットワークへ導いた。長崎留学もしているので、国内遊学に関する研究の一つとしても位置付ける。国内遊学は、「東山、西海地方等、地理的に遠隔の地が、きわめて熱心に遊学の制度を採用した」(吉田昇、1945)、「情報交換のネットワークを形成」(ルビンジャ―、1982)の役割を果たした、「明治期の国民国家の形式の背後の有力な条件」(石附実、1992)となったこと等が指摘され、熊沢恵理子は福井藩についての詳細な事例研究をしている(熊澤、2007)。国内遊学の資料は稀少で入手困難とされている。本研究は、幕末期明治初期のネットワーク研究の一つとして、また、宇和島藩の国内遊学の特徴を明示することにより、城山の国際性を育んだ教育環境を明らかにする。
      (河田敦子氏 記)

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