日本教育史学会

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12月20日第683回例会(学習院大学会場)前田一男氏の研究発表【プログラム・ノート】

12月20日第683回例会(学習院大学会場)前田一男氏の研究発表【プログラム・ノート】

<第683回例会>
*日   時:2025年12月20日(土曜日)  午後3時~5時 (対面で実施)
*会   場:学習院大学 北一号館2階教育学科模擬教室
*プログラム:校長日記からアプローチする長野県教員赤化事件(「二・四事件」)の歴史的性格の再検討
            前田 一男 氏
        司 会 上田 誠二 氏

【プログラム・ノート】
 教育界が変化していく際、そこには何が大きな要因になっているのだろうか。教育行政による教育政策、時の政府の教育方針は有力な要因であろう。さまざまな主義主張に影響を受けた社会運動や国民大衆の教育要求も広い意味でその要因になるかもしれない。さらにここで注目したいのは「事件」である。ある「事件」が起きる、ないし起こされる。そしてその「事件」が扇動的に報道される。さらにその「事件」が政争に絡めて議会で取り上げられる。その過程で起こる教育界の変化は、それまでの教育関係に確実な変化をもたらしているように思われる。その「事件」の歴史的性格や教育関係の変化を対象にすることは、教育史研究のひとつの重要な役割であろう。長野県教員赤化事件(通称「二・四事件」)とは、「信州教育」と全国的に高く評価されていた長野県において1933年2月4日から半年あまりの間に、多くの教員などが治安維持法違反として次々に検束され、報道管制が敷かれつつ記事解禁後には大々的に報道された事件をいう。具体的には、教育労働運動に対する大規模な思想弾圧事件で、検挙取り調べ者608名のうち教員が230名を占めていたため「教員赤化事件」と呼称された。尊敬の対象である教員が検挙されるという「未曾有の事件」は、その学校にとってだけでなくその地域社会にとって、またその家族にとって衝撃的な事件であり、社会的影響力は、各種新聞や教育雑誌などの報道によって、長野県にとどまらず全国に波及していった。この「事件」を契機に思想統制の教育政策に拍車がかかり、教育界の空気を変えていくことになった。さらにこの事件は、信州教育の「汚点」として「猛省」され、信濃教育会の指導のもと戦時下においては満蒙開拓青少年義勇軍の送出という国策の遂行において、長野県は全国一位の実績をあげるまでになっていった。
 この「事件」について、報告者(たち)は3期にわたって研究を継続している。第1期では、「二・四事件」で裁判にかけられた6名(藤原晃・河村卓・小松俊蔵ら)の中心人物であった教師の裁判記録を分析の対象にし、教育労働運動への参加、活動や実践の内容、教育天皇制への認識などを検討した。第2期では、治安維持法の目的遂行罪により検挙された10名の教員の「手記」(反省文の「答案」)を分析の対象にして、教育運動にかかわった些細な理由でも検挙された教師の実際を分析した。そして現在の第3期は、伊那小学校校長であった伊藤泰輔の「日記」を分析の対象にし、検挙者を出した学校長の認識、県や信濃教育会あるいは伊那町との関係を明らかにしながら、改めて「二・四事件」の歴史的性格を再検討しようしている。教育労働運動の中心的な教師、関与したとされる周辺の教師、そして検挙者を出した小学校の校長と、3つの視点からアプローチしつつ研究を進めている。また、「二・四事件」が起きた小学校は長野県の諏訪郡であったが、検挙された教員は上伊那郡出身者が多かった。その中心校ともいえる伊那小学校の対応および同校からも検挙者を出すことになった校長の認識を丁寧に追うことで、新たに教育実践史としての「二・四事件」の歴史的性格を問おうとするものである。
 なお今回の発表は、「歴史的転機としての「長野県教員赤化事件(「二・四事件」)」の研究」(日本教育史学会第619回例会 2018年1月27日 立教大学)の続編にあたるものである。
            (前田一男氏 記)

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