日本教育史学会

日本教育史学会は1941年から毎月の例会を開始し、石川謙賞の授与と日本教育史学会紀要の刊行を行う、日本の教育の歴史についての学会です。

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第578回例会:2013年度「石川謙賞」の授与

第578回例会:2013年度「石川謙賞」の授与

2013年度における第26回「石川謙賞」は下記の方へ授賞することが決定いたしました。

  大島 宏 氏

【受賞の理由及び選考経過】

日本教育史学会理事会は、石川謙賞の選考を行った結果、大島宏(おおしま・ひろし)氏を第26回の 受賞者とした。選考にあたっては全理事を選考委員とする委員会により、12月22日、1月26日、2月23日、3月23日に、選考基準による候補者のリストアップや候補者の業績審査を実施し、全員の総意をもって今回の選考結果に至った。

受賞者の大島宏氏は、立教大学文学部教育学科を卒業後、同大学院文学研究科に進学し、博士課程後期課程を満期退学。2002年4月から学術調査員として立教学院史資料センターに、2007年4月からは東海 大学課程資格教育センターに勤務し、現在准教授として教職課程を担当している。2008年4月からは日 本教育史研究会世話人としても活躍している。

大島氏の主な研究領域は、戦後教育改革研究である。立教大学在学中から、前田一男教授の指導の下で、戦後教育改革の研究(特に学校制度改革に関する研究)に取り組み、その成果が『日本の教育史学』に3編の論文が掲載されている。

まず「敗戦直後における文部省の初等後教育制度改革構想-「中等学校令中改正等ノ件」をめぐって-」(『日本の教育史学』第44集、教育史学会、2001年10月)は、これまで中等学校修業年限の延長のみが注目され「旧状への復帰」のための措置としてとらえられていた「中等学校令中改正等ノ件」(1946年勅 令第102号)に注目した論文である。この勅令には、国民学校令等戦時特例(1944年)による国民学校 高等科義務制の施行延期措置(とそれに関連する青年学校普通科の廃止)を継続することが規定されている。また、中等学校令以前の高等女学校の修業年限は実際には五年制よりも四年制の学校が多いことをふまえ、中等学校修業年限を再び五年とする規定を高等女学校修業年限の実質的一年延長であるという問題をはらんでいる。このことをふまえ、論文では、「中等学校令中改正等ノ件」を単なる「旧状への復帰」してではなく、敗戦後の青年学校の処遇や女子教育の刷新などの改革課題への対応の一環としてとらえる必要があるとし、敗戦直後における改革課題に関する政策動向を考察することによって、同勅令を戦後 教育改革の文脈の中に位置づけた点に、この論文の特徴がある。

次いで、「女子に対する旧制高等学校の門戸開放-敗戦後における制度化の過程を中心として-」(『日本の教育史学』第47集、教育史学会、2004年10月)は、大学にくらべて一年遅れた旧制高等学校への女子の門戸開放に注目した論文である。先行研究は、敗戦後における女子教育の刷新について、「女子教育刷新要綱」の閣議諒解(1945年12月)や男子に限られていた大学や旧制高等学校の門戸が女子にも開かれたことなどの結果に注目し、教育の民主化や機会均等の理念の実現として評価してきた。これに対して、大島氏は、高等学校が女子に門戸を開くのが大学よりも一年遅い1947年であることに注目し、「女子教育 刷新要綱」の閣議諒解や門戸開放という結果に注目するだけではなく、結果にいたる制度化の過程を検討する必要があるとの問題意識を提示した。こうした問題意識にもとづいて、「女子教育刷新要綱」の作成過程や憲法改正と女子に対する高等学校の門戸開放との関係、門戸開放時の入学資格の付与に関する規定を検討し、政府・文部省の主眼がアーティキュレーションの整備にあったことや「女子教育刷新要綱」よりも憲法の男女平等規定が重要な役割を果たしていることを明らかにした。

最後に、「憲法改正過程における教育条項の修正-義務教育の範囲と青年学校改革案との関係を中心として-」(『日本の教育史学』第54集、2011年10月)は、戦後の憲法改正の際に「初等教育」を範囲とする義務教育規定が「普通教育」へと修正されたことに注目した論文である。この修正は中等教育の義務化の実現という点でこれまで高く評価されてきた。しかし、大島氏は、義務教育が「初等教育」に限定されれば、当時施行されていた青年学校の男子義務制は憲法に抵触することになることから、政府・文部省は 憲法改正にあたって「初等教育」のままでもそれを越える義務教育の可能性を模索していたのではないかとの仮説を設定し、憲法改正案の義務教育規定に対する政府・文部省の認識や議会における修正過程をあとづけつつ、この点を実証した。さらに、この「初等教育」から「普通教育」への修正によって、青年学校改革構想の方向性が狭められる可能性や高等学校パートタイム義務制に関する教育刷新委員会の議論への影響を指摘している。

これらの論文にみられる大島氏の問題意識は、これまでの研究が戦後教育改革によって制度化された学校制度(いわゆる六三三制)という枠組みを所与の前提としていたのに対して、新しい学校制度を所与の前提とすることなく、むしろ当時の改革課題であった青年学校(と国民学校高等科の義務制)や女子教育の刷新などの問題に注目しながら、改革課題への対応プロセスの延長線上に学校制度改革を位置づけ、その意義と限界を歴史内在的にあとづけようとしていることである。このような問題意識は「学校制度改革 研究の課題と展望」(『日本教育史研究』第23号、日本教育史研究会、2004年8月)において表明されているほか、「敗戦直後の青年学校-千葉県における実態と改革の動向-」(『千葉県史研究』第13号、千葉県、2005年3月)にも、同様の問題意識がみてとれる。

大島氏の研究業績には、ミッションスクール研究に関する研究、特に寄附行為の変更に関する論文もある。たとえば、「『基督教主義』から『皇国ノ道』へ-財団法人立教学院寄付行為の変更にみるキリスト教主義と天皇制イデオロギーの相克-」(『立教学院史研究』第2号、立教学院史資料センター、2004年3月)がある(大幅な修正加筆が加えられ『ミッションスクールと戦争』(老川慶喜・前田一男編、東信堂、2008 年3月)に収録された)。

キリスト教主義学校の戦時下の歴史は国家による弾圧の被害者として描かれてきた観がある。これに対して、この論文では、「基督教主義ニヨル教育ヲ行フ」とされた立教学院の目的が「皇国ノ道ニヨル教育ヲ行フ」へと変更されたことに注目し、ミッションスクールの母体となる伝道組織との関係や学内の状況の検討のほか、他のキリスト教主義学校との比較という研究方法を用いることによって、文部省の意図がキリスト教主義の払拭にあり、国体観念の徹底にはなかったことや、目的変更が立教学院の自己規制として性格を有していることを明らかにした点で、これまでの先行研究の一面的な把握を乗り越えるものである。さらに、これまでの学校史研究では、当該学校にのみ注目し、複数の学校との比較という方法が採られることはほとんどなかった。その意味において、学校史研究に関する新たな研究方法を提示したという点でも意義のあるものと考えられる。

このほかに、キリスト教主義学校に関する論文に、「戦前の立教大学における女子入学論』(『立教学院史研究』創刊号、立教学院史資料センター、2003年3月)、『立教大学の歴史』(立教学院史資料センター編、立教大学、2007年1月、共著)がある。また、この領域に関連して、2011年の日本教育史研究会サマーセミナーにおいて「戦前日本におけるキリスト教主義学校と国家」を企画するとともに、報告を行っている。

上述した一連の研究のさらなる深化と同時に、これまでの蓄積を基礎とした研究の集大成にも期待して、大島宏氏を第26回石川謙賞受賞者として選考した。

〔大戸安弘 横浜国立大学教授 記〕

 

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