第641回例会(オンラインで実施):太郎良信氏の研究発表【プログラムノート】
<第641回例会>
日 時:2021年3月27日(土曜日) 午後3時~5時 (オンラインで実施)
参加事前登録の締め切り:2021年3月24日(水曜日) 午後11時59分
プログラム:「木村文助研究―生活綴方教育史研究の課題に照らしつつ―」
研究発表者: 太郎良 信 氏
【プログラム・ノート】
1930年代における生活綴方教育史についての先行研究の再検討を意図しつつ、現在取り組んでいることについての報告となる。
1920年代の『赤い鳥』綴方を批判して生まれたとされる生活綴方が、調べる綴方、リアリズム綴方、生活教育への展開、表現技術教育の偏重、学級文化活動というように展開したととらえられてきたといえよう、こうした見方は、生活綴方に関係がありそうなことがらの推移としては一つの描き方となろうが、何をとらえて生活綴方というのかということ自体が問題となる。たとえば、調べる綴方は生活綴方といえるのか、リアリズム綴方は調べる綴方の反省に立つものなのか、北方性教育運動が生活綴方にもたらしたものは何だったのか、学級文集づくりが一時的に高揚して衰退したのは何故だったのかなど、検証すべきことは多い。
こうしたことを念頭におきつつ、今回は、従来『赤い鳥』綴方を代表するものであり、生活綴方に至るよりも前段階の人物として歴史的に位置づけられてきた木村文助(1882-1953)に即して報告する。
論点の一つは、1930年が画期となるか否かということである。波多野完治はそこに画期を認めず、それまでの「生活指導綴方」が調べる綴方として展開していったとみる。これに対して、木村は1930年に階級闘争が高揚してきて綴方にも社会的な関心が反映されるべき時期を迎えた(機械的なプロレタリア綴方を肯定するものではない)ということで画期とみたし、調べる綴方と「生活指導綴方」との連続性を認めてはいなかったということについてである。
もう一つは、生活教育の野村芳兵衛や北方性教育の村山俊太郎が、1836年に至って、1920年代以来の木村文助指導の綴方について意欲(モラル、モーラル)が含まれていることを評価していることについてである。ちなみに、木村の指導した綴方のうちでも代表的な高等科2年女子の「涙」に即して中内敏夫は「メソメソした、そうした意味で即自的なリアリズム作品」(中内敏夫『綴ると解くの弁証法』渓水社、2012年、p.115),「メソメソの生活と表現の論法」(同前書、p.121)として否定的な評価をくだしているものである。
ついでながら、先日、治安維持法違反として検挙された著名な生活綴方関係者に対する地裁の検事聴取書の写しの一部を古書店ルートで入手した。詳細な検討はこれからであるが、先行研究にとどまらず自らにおいても弾圧側の「論理」や「評価」を踏襲している面があるのではないか、共同研究で対処すべきものではないかと思案していることを記しておく。
〔太郎良信氏 記〕
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