<第678回例会>
*日 時:2025年5月24日(土曜日) 午後3時~5時 (対面で実施)
*会 場:日本女子大学 目白キャンパス 百二十年館3階 現代社会学科 実習室
*プログラム:1920年代~1940年代における初等音楽教育形成史研究
―日本教育音楽協会と全国訓導(音楽)協議会の文部省諮問とその答申・建議を読み解く―
菅 道子 氏
司 会 上田 誠二 氏
【プログラム・ノート】
本研究の根底にある目的は、1920年代~1940年代初期に注目し、「唱歌」が「芸能科音楽」へと改編され、日本の初等音楽教育が形成されていく過程並びにその特徴を明らかにすることである。
特に1920年代以降の時期に注目するのは、1926(大正15) 年4月22日小学校令(勅令第73号)改正により、次の二つのことが音楽教育を推進していく上で重要な契機になったと考えられるからである。その一つは、尋常・高等小学校の「唱歌」が必置化されたであり、もう一つは、高等小学校の教科目担任制の一部導入により、専科正教員の位置づけが明確になり、尋常・高等小学校において唱歌専科教員の配置増が見込まれたことである(菅 2020)。しかし本制度改正と「唱歌」教育の変容の関係性については、当時を回想した井上武士(1966)による言及の他、ほとんど扱われてこなかった。
一方、当該時期の音楽教育史については、貴重な先行研究が蓄積されてきた。一つは、1930年代以降のファシズムと軍国主義に向かう政治過程において、教育制度を通して国家権力の教育現場への介入が強化されたことを指摘する河口道朗(1983)、沢崎真彦(2004)等の研究である。もう一つはこうした教育史観に対し、国家の政治体制あるいは学校の音楽教育という漠然とした対象だけでなく、音楽教育の担い手である音楽教師の動向把握が必要であり、彼らの主体性がいかに歴史的に重要な視点となるかを提起した上田誠二(2010、2012)の研究があげられる。上田は、日本教育音楽協会の設立とそこでのメンバーの動きを描き出しており、その分析視点は示唆的である。本報告では、上記先行研究を踏まえ、政策立案側となる文部省と直接やりとりした音楽教育実践家等の組織として日本教育音楽協会と全国訓導(音楽)協議会を取り上げる。これら組織に文部省が「唱歌科」改善にむけて諮問した内容と、それに対する答申・建議の内容並びに各研究大会記録の資料から、制度改革を目指す文部省の意向とそれに対する音楽教師たちの言説や実践等を分析することで、いかなる力関係の中で、何を取捨選択して「唱歌」から「芸能科音楽」への改変が進んだのか、そのプロセスの一端を明らかにすべく考察を試みる。
(菅 道子氏 記)