<第669回例会>【プログラムノート】
*日 時:2024年5月25日(土曜日) 午後3時~5時 (対面で実施)
*会 場:学習院大学北一号館2階教育学科模擬授業教室
*プログラム: ☆「非正規の学び」から見た日本の中等教育史
三上 敦史 氏
司 会 大島 宏 氏
【プログラム・ノート】
私は日本の中等教育史を研究してきた。中等教育は日本の教育制度の勘どころだと思う。『学問のすゝめ』や学制布告書から連綿と続く全員が平等な(と考えられる)日本社会において、人材選抜・育成の中核を担うポジションが中等教育であるからだ。しかし、その重要性にも関わらず歴史研究はまだ緒に就いたばかりであり(例えば、中等教育史研究会の設立は1986年)、令和の就活生お気に入りのビジネス用語で言えば「ブルー・オーシャン」である。若い研究者の続行が期待される。
これまでの私の研究対象は、近代の夜間中学、鉄道教習所、逓信講習所、各種検定試験、受験・修養雑誌、また戦後の大学別模試・通信添削等を実施した学生団体、河合塾を始めとする全国型予備校。これらは正規の中等教育機関ではないが、それと密接な(事例によっては骨絡みの)関係を持って中等教育を成り立たしめてきた存在である。私は「非正規の学び」と呼んでいる。これを補助線として引くと、日本の中等教育史は従来とは違った見え方になる。
例えば、一般に日本の教育制度は近代が複線型、戦後は単線型といわれる。しかし「非正規の学び」から見れば、①1903年「専門学校入学者検定規程」までは(一応)複線型の構築期で、②それ以降は事実上の男女別単線型へ徐々に移行、③既に完成していた男女別単線型から性差も撤廃したのが戦後学制改革であるが、副作用で柔軟性を喪失、④1961年「学校教育法等一部改正」(技能連携制度を創設)以降は徐々に柔軟性を回復していく時期と映る。
また、同様に戦後の高等学校と大学入試との関係を見れば、①1970年頃までは学力も(例えば芸術・体育のように)努力によって磨き上げる才能のように目される中、学生団体が情報の橋渡しをすることで大学と高等学校・予備校(および受験者)を繋いだ時期、②そこから2000年代頃までは(狭義の)学力と受験学力が分けて考えられるようになり、後者については知識を欠落のないように組み上げる技術のように目される中、全国型予備校が発信する受験テクニックと偏差値ランキングが大学と高等学校・中小予備校(および受験者)を繋いだ時期と映る。
今回はこうした点について報告する。ご参加の会員諸賢には「非正規の学び」という補助線の有効性についてご批正を賜りたい。
〔三上敦史氏 記〕