<第661回例会>
*日 時:2023年6月24日(土曜日) 午後3時~5時 (オンラインで実施)
*プログラム:
☆1880年代の徳島県にみる中学校の形成過程と就学の動向
軽部勝一郎 氏
司 会 須田 将司 氏
【プログラム・ノート】
本発表は、1880年代の徳島県における中学校の形成過程に焦点を当て、中学校の形成が人々の就学行動に与えた影響を検討しようとするものである。
本発表で取り上げる徳島県は、その県域が旧徳島藩領にあたり、1870年代から80年代にかけての中学校形成も、旧徳島藩の教学の影響下に進められた。中学校の展開が、旧藩庁所在地の徳島のほか、旧藩以来の拠点である、脇、富岡、川島にみられたことがそのことを物語る。
一方で、藍の生産に代表されるように活発な経済活動を展開する商人たちの動向も、中学校の形成過程を考えるうえでは看過できない。とりわけ郡部の中学校を維持するうえで商人たちの経済的援助は欠かせないものであり、彼らの動向が徳島県における中学校形成の方向性を形作ったともいえる。また、徳島女学校が1880年代を通して維持されたことも、女子教育への彼らの関心が少なからず影響していた。藩政期以来の士族層と商人層の「つかず離れず」の関係性を読み解くことが、この地の中学校形成過程を明らかにする鍵ともいえる。
このような視点に立って、中学校の形成が人々の就学行動に与えた影響を検討していきたい。本発表は『明治前期中学校形成史府県別編Ⅴ南畿南海』所収の拙稿をもとに行うが、徳島女学校が県内の小学生を対象に行った技芸作品のコンクールである「奨芸会」にかかわる『普通新聞』の記事や、富岡や脇の中学校にかかわる史料を新たに用いることで、「就学」に対する人々の意識を醸成する要素の1つとして、中学校の形成という事象が存在したことを指摘できればと考えている。
これまで発表者は、自由民権期に小学校設立にかかわった人々や、第一次小学校令期に小学簡易科を設置、維持した人々に焦点を当て、前近代から近代への転換期における民衆の教育要求の本質を明らかにする作業を試みてきた。それはいわば初等教育を指標に民衆の教育要求を検討する作業であった。前任地熊本にいる折に、神辺靖光氏が進めてこられた中学校形成史研究に参加する機会を得て、中等教育を指標として転換期の教育の実相を探ることの重要性を新たに知ることになり、昨年公刊された『明治前期中学校形成史府県別編Ⅴ南畿南海』の執筆を通して、こうした問題意識をさらに強く抱くことになった。本発表を機に、転換期に生きる人々の「就学」に対する意識を、初等教育に加えて、新たに中等教育を指標として明らかにする作業に取り組んでいきたいと考えている。
〔軽部勝一郎氏 記〕