1月28日例会(オンライン実施)大戸安弘氏の研究発表 【プログラムノート】
<第657回例会>
*日 時:2023年1月28日(土曜日) 午後3時~5時 (オンラインで実施)
*プログラム
☆久木幸男の近代教育史研究について(1)
大戸 安弘氏
司 会 須田 将司氏
【プログラム・ノート】
2004年2月5日、久木幸男(横浜国立大学名誉教授)は生涯を閉じた。時の歩みは早いもので、来年は没後20年の節目の年となる。日本教育史研究の世界において久木が果たした学問的役割の確かさと大きさとは、比肩する存在が容易には見出し難いほどであったことを否定するものはいないであろう。その79年の生涯のなかで残された豊穣な学問的業績の全体像をあらためて俯瞰し再確認することを通して、そこから今後の日本教育史研究の進むべき道筋を考える際のよすがとしたい。
久木の代表的著作は、『大学寮と古代儒教 日本古代教育史研究』(サイマル出版会、1968年)であり、古代教育史研究の領域において大きな足跡を残した。在来の研究が、例えば代表的な桃裕行『上代学制の研究』のように、時代状況との対話を見過ごし孤立分散的な解明に留まるという傾向にあったのに対して、同時代の政治状況との関係性に左右される官学との位置づけからの分析を進め、50年代後半から60年代にかけての時代にあって斬新な手法を用いたことにより高く評価された(68年に教育学博士、京都大学)。一方、横浜を退職するに際して、その増補改訂版として『日本古代学校の研究』(玉川大学出版部、1990年)が著されているが、前書刊行後の間に新たに蓄積された大学寮研究に加えて、新たなテーマである古代民衆学校の研究が盛り込まれている。古代民衆の識字をめぐる状況、民衆学校としての綜芸種智院・村邑小学の緻密な論証など、前人未到ともいうべき困難な課題にも取り組み、この領域を先駆的に開拓したといえる。
一人の研究者の成果としては、古代教育史に関する成果のみで十二分であるということもできる。しかし、久木の学問的視野は古代教育に留まるものではなかった。別紙の業績一覧に明らかなように、中世民衆の識字状況の解明を試みた教育施設としての村堂論や村校論、近世教育思想家としての大原幽学研究など、その問題関心は拡がり続け、留まるところを知らなかった。個々の論考の論証の厳密さ、鋭さにおいて、読むものの胸に深く迫ってくるものがあるという点でも特筆することができる。そのことは、68年に京都から横浜に拠点を移して以降、新たに取り組まれた近代教育史研究においても然りである。
この後、久木は『横浜国立大学教育紀要』と『佛教大学教育学部論集』を中心に、27点に及ぶ重厚な近代教育史研究を発表している。いずれも19世紀後期から20世紀へと至る過程において、天皇中心主義教育体制に対決ないしは対応した人々の実相を照射し、その体制の根幹である天皇制教育イデオロギーの混迷、矛盾、屈折を抉り出すという独自のアプローチの仕方に特徴があり、定型的な近代教育史研究とは一線を画している。
総体で大作の単著2冊分と推定される膨大な量となる。しかしこれらは、最終的に著作として公刊されることはなかった。しかしながら、あえて近代教育史論集として構想するならば、概ね二つの主題に分類できそうである。一方は、「明治期仏教主義教育の研究」。他方は「明治期天皇制教育の研究」。今回は、前者を中心に、その全体像に迫ることとしたい。そして、久木幸男が残してくれた日本近代教育史研究の成果から、私たちは何を学びうるのか考察してみたい。
〔大戸安弘氏 記〕