日時:2015月10月24日(土曜日)午後3時から5時
会場:日本女子大学 目白キャンパス 百年館高層棟11階 家政経済学科共通ゼミ会議室
JR山手線「目白」駅 徒歩15分又は都営バス「日本女子大前」下車
東京メトロ副都心線「雑司ヶ谷」駅 3番出口より徒歩8分
東京メトロ有楽町線「護国寺」駅 4番出口より徒歩10分
〒112-8681 東京都文京区目白台2-8-1
プログラム:近代日本の高等教育と中央大学 -学校規則、学則からみる一私立大学のあゆみ―
平井 裕二 氏(中央大学広報室大学史資料課課長)
【プログラム・ノート】
1885(明治18)年に私立法律学校として創立した英吉利法律学校(中央大学の前身)から、以降60年間の学則(24種)、および、関係学校(予備校、商業学校)の規則(5種)をデジタルアーカイブとして本年5月に公開いたしました。
公開した旧制期の学則は一私立大学の学則ではあるものの、国の制度の変遷のなかで、社会環境や経営環境を見据えつつ、私立の学校がどのように対応してきたのかを学則という制度面からたどることが可能な素材を提供しているのではないかと考えています。今回の発表では以上のことを実際に学則をご覧いただきながら報告いたします。
明治維新後、広い意味での教育は「学制」による学校と民間の私学校が負いました。そのなかから、私立法律学校が各地に誕生し、実務者養成を担って行きました。現代の弁護士である代言人、その他の法曹を養成することに主眼を置いた学校です。
英吉利法律学校は地方官による統制のもとに私学校として認められ、専門学校令(1903(明治36)年)による専門学校になり、大学令(1918(大正7)年)による大学に昇格(1920年)していく経過をたどりました。その間、予科、学部の構成を採用し、また、法学部に続いて経済学部、商学部を擁する文系総合大学に規模を拡大し、一方で専門部を設けています。
その後、1945年の敗戦を経て新制大学制度発足までの間、大学令のもとで文部大臣の統制のもとに置かれていました。
多くの私立大学のあゆみは中央大学のあゆみと類似しています。大正期に大学令による大学認可を受けた私立大学は22校でした。それらの大学は、現在、総合大学、医科大学、宗教系大学として高等教育を担っています。
なお、発表では、『英吉利法律講義録』(1886年;第1年級)を学則とのかかわりの観点から紹介します。
学則等は下記のurlからご覧ください。
http://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/history/
〔平井裕二氏 記〕