日時:2015月9月19日(土曜日)午後3時から5時
会場:日本女子大学 目白キャンパス 百年館高層棟11階 家政経済学科共通ゼミ会議室
JR山手線「目白」駅 徒歩15分又は都営バス「日本女子大前」下車
東京メトロ副都心線「雑司ヶ谷」駅 3番出口より徒歩8分
東京メトロ有楽町線「護国寺」駅 4番出口より徒歩10分
〒112-8681 東京都文京区目白台2-8-1
プログラム:福沢諭吉によるハングル普及支援の教育史的意義について-1881年~1895年を中心に-
李 垠松 氏(日本女子大学非常勤講師)
【プログラム・ノート】
本報告は、拙稿(「兪吉濬の『西遊見聞』における教育論―福沢諭吉との思想的関連を中心として」『日本の教育史学』第47集、2004)の後続研究の性格をもつものである。本研究者は福沢諭吉と兪吉濬との思想的関連性を中心に東アジア文明論の構築について研究してきた。そのさい、東アジア文明論構築への道を開く鍵として本研究者が注目したのは社会進化論と俗文主義だった。福沢は当の日本についてはいうまでもなく、隣国である朝鮮に関しても俗文主義の拡大を希求した。では、そのような福沢の俗文主義拡大論はどのように理解されるべきなのか。またもう一つの研究の柱である社会進化論とこのような俗文主義はどのような関係におかれてあるだろうか。本研究では、そのような疑問を東アジア文明論の構築という命題に統括するとともに、その具体的な事例として朝鮮におけるハングル普及問題をめぐってみられる福沢の思想的片鱗を拾いつつ、その教育史的意義を明らかにしたい。
福沢諭吉は1882年朝鮮修信使朴泳孝が帰国するさい、朝鮮の新聞発刊の為、印刷技術者の井上角五郎を紹介するなど支援をしているが、それに先だって、兪吉濬が福沢邸に留まっていた際にもハングル研究を勧めていたという経緯がある。福沢は自ら俗文主義をかかげるほど、西洋文明を平明な言葉で訳し、またそれを伝える事の重大さを幾度なく強調して来た。そのような事情から、当時、朝鮮の文明化においてもハングルの普及や翻訳などに強い興味を持っていたことは想像に難くない。
本報告では、そのような1880年代の福沢諭吉のハングル普及支援の側面を朝鮮政略だけではなく、東アジア文明化構築を試みる近代啓蒙教育の観点から分析して行く。
〔李 垠松(イ ウンソン)氏 記〕