日本教育史学会

日本教育史学会は1941年から毎月の例会を開始し、石川謙賞の授与と日本教育史学会紀要の刊行を行う、日本の教育の歴史についての学会です。

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2016年10月22日(土) 第606回例会:片桐芳雄氏【プログラム・ノート】

2016年10月22日(土) 第606回例会:片桐芳雄氏【プログラム・ノート】

日時:2016月10月22日(土曜日)午後3時から5時

会場:立教大学 池袋キャンパス 12号館2階会議室
   〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1

アクセス:「池袋駅」下車 西口より徒歩約7分

プログラム:成瀬仁蔵研究の現代的意義―女性観、教育観、宗教観―
片桐 芳雄 氏

【プログラム・ノート】
 1901年に日本女子大学校を創設した成瀬仁蔵(1858-1919)研究の現代的意義は、以下の3点にあると考える。
 1.成瀬は、女性の主要な「天職」は、賢母良妻だと主張した。しかし現実に、結婚しない女性、子どものいない女性、夫と死別した女性などが存在する。アメリカに留学して、賢母良妻でありつつ、社会に貢献する活動(「公業」)に従事する女性たちの生き方を知った。成瀬は、女性を「人として」教育するために、女子高等教育が必要だと考えた。このような成瀬の女性観は、福沢諭吉等、いわゆる啓蒙思想家の女性観とは根本的に異なるものである。
 2.成瀬は、個人性と社会性は、本質的に一致すると考えた。その両者を共に獲得する道、それが、成瀬の言う「天職」である。そのためには、実践を重視した「自学自動」の教育が必要である。成瀬は、「実業的社会的教育」を主張し、日本女子大学校では、運動会や文芸会、縦の会や横の会などの自治活動が重視された。日本女子大学校は、新教育運動の高等教育版、と言うべきものである。
 3.19歳でキリスト教信者となり牧師となった成瀬は、新潟時代の経験を通して、30歳ごろから徐々に、キリスト教を相対化し始めた。アメリカ留学で「神学上の問題」に取り組んだ成瀬は、「将来の宗教」を模索するようになる。その果てに辿り着いたのが「帰一思想」であった。これは、彼の友人でもあったデューイの宗教観 A Common Faith、1934年(岸本英夫訳『誰でもの信仰』1951年、栗田修訳『人類共通の信仰』2011年)とも、意外なほど重なり合うものである。
 1の女性観をめぐる問題は、まさしく今日的問題であり、2の「自学自動」主義の教育は、アクティブ・ラーニングなどと、いまさらのように主張されているテーマであり、3の宗教をめぐる問題が、現代が求めている宗教観として重要である。
〔片桐 芳雄氏 記〕

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