日時:2017月3月25日(土曜日)午後3時から5時
会場:立教大学 池袋キャンパス 12号館地下1階 第2会議室
〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1
アクセス:「池袋駅」下車 西口より徒歩約7分
プログラム:戦時下におけるキリスト教主義高等女学校の妥協と抵抗―立教高等女学校を事例として―
高瀬 幸恵 氏(立教女学院短期大学)
【プログラム・ノート】
立教高等女学校は、1877年に米国聖公会によって設立された立教女学校を前身とし、明治期に女子中等教育機関として発展を遂げ、1908年に高等女学校の認可を得たプロテスタント系のキリスト教主義学校である。同校の特徴として指摘できるのは、高等女学校令に基づく高等女学校として運営され、キリスト教主義を積極的に表明しない学校であったということである。
1940年頃、高等女学校としての認可を得たキリスト教主義学校は、プロテスタント系はカトリック系に比して少なく、キリスト教主義の女子中等教育機関としてよく知られている宮城女学校高等女学部、青山学院高等女学部、フェリス和英女学校中等部、同志社高等女学部などは、専門学校入学者検定の認定を受けた各種学校であった。1899年の文部省訓令第12号により、学科課程に関して規定のある学校では課程内外において宗教教育を実施することはできなかった。宗教教育を実施できるのは、各種学校や専門学校などに限られたため、宗教教育の継続を目的として各種学校であることを選択する学校が複数あった。
では、立教高等女学校において、宗教教育や礼拝が実施されなかったのか、また、国家の統制に対して抵抗がなかったのかというとそうではない。先述のキリスト教主義を積極的に表明しなかったという特徴と矛盾するように思われるが、御真影と教育勅語謄本の受け取りは他のキリスト教主義学校に比して最も遅い学校であった。高等女学校であることと、キリスト教主義学校であることのはざまで、同校はどのような妥協を重ね、またどのような抵抗しようとしたのだろうか。
報告では、1930年代後半から1940年代前半までの立教高等女学校の動向を追うこととしたい。1935年には、宗教的情操の涵養に関する通牒によって、学校教育における宗教の取扱いについての文部省の見解が示された。この時期から総力戦体制となる1940年代前半までを対象とし、同校が国や地方行政から受けた統制の実態や、御真影と教育勅語謄本の受け取りをいかに拒み続けたのかを明らかにしたい。また、宗教教育や礼拝は、宗教的情操の涵養に関する通牒に矛盾しない形で―修養の一環として―継続されていたことについて資料に基づき紹介する。これらを通して、戦時下のキリスト教主義高等女学校が、継続できたものは何か、失ったものは何かについて検討するとともに、当時のキリスト教主義学校に対する統制のあり方について考察したい。
〔高瀬 幸恵氏 記〕