日時:2017月9月23日(土曜日)午後3時から5時
会場:立教大学 池袋キャンパス 12号館2階 会議室
〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1
アクセス:「池袋駅」下車 西口より徒歩約7分
プログラム:青森県農学校の開校―軍馬改良と獣医育成
堀内 孝 氏(明治大学・院)
【プログラム・ノート】
明治から昭和にかけて、機動力、輓曳力などにすぐれた馬は、軍馬、農耕馬、輸送馬として、日本の近代化に欠かすことのできない存在だった。たとえば陸軍は、最後まで十分な機動力が実現しなかったために、軍馬にその役割を求めたのである。
しかし、日清戦争、北清事変、日露戦争において、陸軍が直面した軍馬の実態は深刻なものだった。ここから日本の軍馬改良が本格化していく。平時における農耕馬や輸送馬も、戦時には軍馬として徴発されるため、すべての馬を改良する必要があった。軍馬改良は、陸軍にとどまらず、農商務省や御料牧場を管轄する宮内省、獣医を育成する文部省、財政を担当する大蔵省、そして東北や北海道などの馬産地を巻き込んだ、国家的課題だった。
改良のポイントとして常に指摘されていたのが、従順さと、体尺の向上、機動力、輓曳力など能力の向上だった。従順さには去勢が、体尺の向上にはすぐれた種馬の購入が、能力については調教の質が、改良の鍵となった。それは一朝一夕になし遂げられることではなかった。結果として、緊急かつ大量に獣医の育成が求められるようになった。
日清戦争後から、獣医育成機関として全国に農学校が開校していった。1898年、旧南部藩の領地であり、名馬の産地とされた青森県三本木村(現在の十和田市)に、青森県農学校が誕生した。
三本木村は、誘致運動に積極的だった。その中心には、旧斗南藩士(旧会津藩士)の存在があった。彼らにとって、戊辰戦争に敗れ、青森県の冬の厳しさに打ちのめされ、廃藩置県にあい、三本木発展のために必死だった。学校は彼らにとって、希望だった。
青森県農学校は、軍馬改良という国家的課題を背景に、地域の思いが結実して開校したのである。軍馬改良を中心とする背景と、青森県農学校の開校までの経緯を報告したい。
〔堀内孝氏 記〕