日時:2019月1月26日(土曜日)午後3時から5時
会場:立教大学 池袋キャンパス 太刀川記念館 第1・2会議室
〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1
アクセス:「池袋駅」下車 西口より徒歩約7分
プログラム:1920~30年代の奈良女子高等師範学校附属小学校における「合科学習」の課題と実践―「中合科学習」と「大・小合科学習」との接続を中心に―」
杉村美佳 氏(上智大学短期大学部)
【プログラム・ノート】
本報告では、1920~30年代初頭の奈良女子高等師範学校附属小学校(以下、奈良女高師附小と略記)において、木下竹次主事や訓導たちが、「中合科学習」と「大・小合科学習」とを有機的に結びつけて一貫性のある学習にするために、いかなる実践を行ったのかを明らかにすることを目的とする。奈良女高師附小では、木下主事の指導のもと、1921(大正10)年度から「大合科学習」が本格的に実施され、1925(大正14)年頃から「小合科学習」が行われ、1927(昭和2)年度には、「大合科学習」と「小合科学習」との間に「中合科学習」を入れる学習法が実践された。しかし、「中合科学習」では、アメリカの革新的な教育実践者であるJ.メリアム(Junius L. Meriam, 1872-1960)の生活単元学習が参考にされ、「研究(お調べ)」「談話(お話)」「遊戯(お遊戯)」「作業(お仕事)」という4つの生活単位を定めた学習が実践されたことにより、「中合科学習」と原理の異なる「大・小合科学習」とをいかに接続するかという新たな課題が生じた。法令の制約がある中で、木下主事や訓導たちが、こうした課題をどのように解決しようとしたのか、その内実は先行研究では明らかにされてこなかった。
そこで本報告では、1920~1930年代初頭の奈良女高師附小を対象として、第一に、「中合科学習」の実践内容や、それに対する一部の訓導たちからの批判および木下主事の主張をふまえ、「中合科学習」の導入によって生じた「大・小合科学習」との接続問題がいかなるものであったのかを明確にする。第二に、こうした課題の解決に向けて、木下主事の指導のもと、塚本清訓導が、中学年の「中合科学習」と低学年の「大合科学習」とを有機的に結びつけるために、いかなる実践を行ったのかを明らかにする。第三に、「中合科学習」の中心的実践者であった岩瀬六郎訓導が、いかに「中合科学習」と「小合科学習」とを接続させ、合科学習の一貫性を保とうと授業を展開したか、その実践を明らかにする。以上の課題の検討を通して、メリアムの生活単元学習が、従来指摘されてきたような「中合科学習」だけでなく、「中合科学習」と「大・小合科学習」との接続にも影響を及ぼしていたことを明確にしていきたい。
〔杉村美佳氏 記〕