日時:2019月10月26日(土曜日)午後3時から5時
会場:立教大学 池袋キャンパス 12号館 地下1階第2会議室
〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1
アクセス:「池袋駅」下車 西口より徒歩約7分
プログラム:戦前期の中学校・高等女学校における弓道教育
佐藤環 氏(茨城大学)
【プログラム・ノート】
文武兼修を旨とする近世の藩校において武芸教育の柱として弓道は位置付けられた。しかし幕末期になると、砲術に比して実効性に欠けると講武所の教授武芸から除かれる。明治維新期に弓術は低迷するが、明治中期以降、大学や専門学校、そして中等学校の課外活動として受容されていく。大学・専門学校が主宰する弓道大会や道府県体育連盟が主催する大会の種目として採用されるようになる大正期から昭和戦前期にかけて、中等学校の弓道部の活動が活発化していく。
本報告は、大正期から昭和戦前期にかけての中学校と高等女学校の弓術(弓道)教育の展開について考察することを目的とする。
中学校については、山形県を事例としてとりあげる。大正中期までは校内の競射会へ参加するなど課外活動として細々と弓道活動が行われていた。弓道作興の契機は大正9(1920)年の官立山形高等学校の設置である。山形高等学校では弓術を正科(但し選択科目)とし、指導者として第二高等学校弓術師範の阿波研造を招聘して教導体制を整備するとともに山形県下の中等学校に対して弓道大会を主宰した。それに加えて、昭和3(1928)年からは山形県中等学校体育連盟主宰の体育大会が開かれるようになり、それらで優勝することを目標にして弓道部活動は活性化した。山形県下で行われた弓道大会は、全国大会である明治神宮弓道演武大会や全国中等学校弓道大会へ出場するための予選という性格を持っており、各中学校の弓道部は全国大会出場に向けて切磋琢磨した。
高等女学校については、新潟県を事例としてとりあげる。大正後期から昭和前期にかけて弓道部活動は学内のみならず各高等女学校間での交流試合、そして大正12(1923)年から昭和17(1943)年まで続いた新潟県(1931年より中等体育連盟、1941年より中等学校学徒報国団)主催の女子中等学校運動大会へと拡充・発展していく。その団体戦と個人成績を見ると、弓道部の実力については伝統校が必ずしも優位という訳ではなく、大正期創設の新設校が健闘しているため、各校伯仲といった状況で推移した。このことは、新潟県の高等女学校弓道教育の程度が各校とも一定水準を保つまでに向上していたことを示すが、理由として他校との交流試合や女子中等学校運動大会という大舞台で鎬を削ることができる環境が提供されたことが大きく影響した。
〔佐藤環氏 記〕