日時:2019月3月23日(土曜日)午後3時から5時
会場:立教大学 池袋キャンパス 地下1階 第2会議室
〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1
アクセス:「池袋駅」下車 西口より徒歩約7分
プログラム:19世紀後期における手習師匠と社会変動
大戸安弘 氏(放送大学)
【プログラム・ノート】
19世紀後期の幕末期に入ると幕藩体制の軋みと動揺とが誰の目にも明らかとなり、各地で発生した社会変動への動きは急速に勢いを増していった。このような時代状況のなかで、民衆の学びの場として機能した手習塾における教育活動の果たした役割にと意味について、二、三の事例を示しながら検討を進めることにしたい。
近世社会において量的に膨大に展開したといえる手習塾(寺子屋)の存在と、近世を通して無数といってもいい程に頻発した百姓一揆や村方騒動などの社会変動との関係については、これまでの研究において十分な掘り下げがなされてきたとはいえない。その理由としては両者の関係を明らかにする史料調査の難しさもあるが、草創期の近世教育史研究を開拓してきた研究者の一人である乙竹岩造によって、民衆を統制するという意味での教化機関としての手習塾像が形成されてきたという経緯があったことが考えられる。手習塾の普及している地域には、百姓一揆のような暴発は起きることがなかったのだというような捉え方である。このような視点は、その後も根強く引き継がれていくのであるが、1970年代に入ると、こうした定説ともされてきた捉え方に対して、石島庸男による批判がなされ、手習塾・寺子屋に対する新たな視点が提示された。それは、手習塾・寺子屋は身分的秩序を維持するという意味での教化機関ではなく、その自生的特質から、幕藩体制を内部から突き崩す機能を可能性として含み持っているはずであるというものであった。
このような視点からの具体的な事例として、川村肇によって明らかにされた、信州伊那の南山三十六ヵ村一揆を総代として率いた手習師匠小木曽猪兵衛の存在がある。この他に、房総の九十九里地方で発生した世直し一揆ともいうべき真忠組事件を率いた手習師匠楠音次郎の活動、また、南部藩三閉伊一揆を総代として率いた安家村俊作の活動などを視野に入れながら、上述の課題に迫ることとしたい。
〔大戸安弘氏 記〕