<第642回例会>
*日 時:2021年5月22日(土曜日) 午後3時~5時 (オンラインで実施)
*参加事前登録の締め切り:2021年5月19日(水曜日) 午後11時59分
*参加方法は、p.3「インターネット上での例会参加の事前登録について」をご覧ください。
*プログラム:
☆「教育史研究と教員養成教育との架橋」
前田 一男 氏
司 会 大戸 安弘 氏
【プログラム・ノート】
方法論を意識した学問研究と、教育現場に力量のある教師を送り出す教員養成とは、どのように「両立」するのであろうか。アカデミズムは学問の論理から教員養成政策への批判を繰り返し、教員養成政策は専門化・高度化を名目に養成カリキュラムへの要請を強めている。この不幸な関係は、近年ますます深刻になりつつあるように思える。教育学が教育実践を意識して実際的にならなければならないと主張されて久しく、一方声高に叫ばれる「実践的指導力」への政策が必ずしも功を奏しているとも思えないからである。双方が課題を抱えながら、それゆえその双方が納得して距離を縮め関係を改善していこうとする見通しも明るいものではない。現実的には免許法の改正に大学が追随させられている現状だけが浮かび上がってくる。
そもそも学問研究と教員養成とが「両立」するとは、どのような内実を指すのであろうか。教育史研究と教育史教育とは、最初から両立しえない課題に苦しんできたところはないであろうか。両立ではなく、それぞれの役割分担が有機的になされるとすれば、何が重要なポイントになるのであろうか。その結節点の論理はどこに求めなければならないのであろうか。これは何も教育史研究に限ったことではなく、教員養成にかかわる他の学問分野も同様の問題を抱えている。将来の教員たる資格を付与する国家的事業に、大学の教員としていかにかかわるのか、自らの専門分野を深めていく研究はその国家的事業にどのような関係に位置づいているのか。それが批判的な立場を内包するときに、それへの説明はいかになされるべきなのか。
学問研究(教育史研究)と教員養成(初等教育実践)との古くて新しい関係づくりの難題を、自らの大学教育実践を総括するひとつの事例として、いくつかの視点から考察しようとするのが、今回の報告の意図である。その視点としては、近年、教職課程における教育史の位置づけの軽視に対して、師範学校カリキュラムではむしろ重視されていた意味をどう考えるか、教育史学会が教員養成を話題にしたがらない事情とその背景にはどのような理由があり、そのことが結果する事態をいかに認識すべきか、自らの教育史実践を検証しながら、そこに教育史研究と教育史研究にかかわるどのような視点・論点が抽出できるのか、またその教育史実践をいかに評価することが妥当なのか。
報告者は、この古くて新しい難問とともに歩んできたことになる。報告者なりに大学教員としての教育実践を総括しなければならない時期に来ているとすれば、自己批判を含めて、その難問へのひとつの事例を紹介しておく義務があるのではないだろうか。
〔前田一男氏 記〕