日本教育史学会

日本教育史学会は1941年から毎月の例会を開始し、石川謙賞の授与と日本教育史学会紀要の刊行を行う、日本の教育の歴史についての学会です。

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第643回例会(オンラインで実施) 大森直樹氏の研究発表【プログラム・ノート】

第643回例会(オンラインで実施) 大森直樹氏の研究発表【プログラム・ノート】

<第643回例会>
*日 時:2021年6月26日(土曜日)  午後3時~5時 (オンラインで実施)
*参加事前登録の締め切り:2021年6月23日(水曜日)  午後11時59分
*プログラム:
 ☆「1958年の教育課程に関わる政策の研究-保守政党の影響を中心に」
                                大森 直樹 氏
                     司  会   大戸 安弘 氏
【プログラム・ノート】
 日本の教育課程史の中で1958年のもつ意味は大きい。学教法施行規則の改正により、①教科と特別教育活動に、道徳と学校行事を加えた4領域の教育課程の編成が求められるようになり(小学校)、②最低授業時数を定めるようになった。あわせて、指導要領が告示の形式で出されて、③「教育課程の国家基準が明確にされた」とする解説が始まり、④36項目の道徳基準が国定され(同前)、⑤経験学習が系統学習に改められ、⑥祝日の儀式では国旗掲揚と君が代斉唱が望まれるようになった。戦後教育の通史的叙述においても、道徳特設(①)と指導要領告示化(③)については、必ずといっていいほど取り上げられている。
これらは何をもたらしたのか。山住正巳は、③により、指導要領の教科書にたいする拘束力が強化されたとしている(『日本教育小史』)。久保義三も、③により、「国家権力が教育内容に対して、積極的に介入する道が開かれた」と述べている(『昭和教育史』)。米田俊彦は、1950年代に「国の教育政策が政治一般と連動」するようになったことを前提に①③⑥に触れており、1956年の教委法廃止などの史実ともあわせて、「教育に関する合意形成のルールを模索することもなく、対立したまま多数の考え方で制度が構築され、その多くが現在まで機能している」ことを指摘している(『教育史』)。
本報告は、米田の指摘も手がかりにしながら、保守政党の教育課程のあり方への関与が、いつから、どのように進められたのかを明らかにしようとするものである。1950年代は、(1)占領軍が教育課程のあり方に大きな影響力を行使した時期が終わりを告げてから、(2)「自民党に教育政策をまともに論じ政策をリードしていく文教族が誕生」(小川正人『教育改革の行方』)する1960年代後半よりも前の時期に当たる。これまでの通史では、保守政党の教育課程への関与は、1952年12月の「党人文相」岡野清豪による教育課程審議会への諮問から、あるいは、1955年8月の日本民主党の『うれうべき教科書の問題』から、叙述されることが多かった。そのこともふまえて本報告では、1952年11月24日の吉田茂(首相・自由党総裁)を起点とした分析を行う。保守政党の教育政策の輪郭の形成という視点から、19度に及んだ吉田の衆議院における施政演説を概観したとき、同日の施政演説が注目されるからである。教育課程に関わる政策史の再整理により、今日における教育課程のあり方への理解の一助としたい。
              〔大森直樹氏 記〕

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