日本教育史学会

日本教育史学会は1941年から毎月の例会を開始し、石川謙賞の授与と日本教育史学会紀要の刊行を行う、日本の教育の歴史についての学会です。

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1月27日第666回例会(学習院大学会場)近藤健一郎氏の研究発表【プログラムノート】

1月27日第666回例会(学習院大学会場)近藤健一郎氏の研究発表【プログラムノート】

<第666回例会>
日 時:2024年1月27日(土曜日)  午後3時~5時 (対面で実施)
会 場:学習院大学北1号館2階教育学科模擬授業教室
プログラム:
 「琉球政府期の沖縄における文部省派遣教育指導委員をめぐって」
                                近藤 健一郎氏
                     司  会   上田 誠二 氏

【プログラム・ノート】
 ここ数年報告者は、アメリカ統治下にあった沖縄に対して、1959年以降文部省が派遣した教育指導委員に注目して調査研究を行なっている。例会当日は、報告者がこの間行なってきた教育指導委員をめぐる調査研究の現状と今後の課題を報告したい。
 報告者は「方言札」に注目しながら近代沖縄における標準語の普及にかかわる政策と実態について調査研究を進めてきた(「方言札の広がりととまどい―『普通語ノ励行方法答申書』(1915年)を中心に」、法政大学沖縄文化研究所『沖縄文化研究』第44号、2017年など)。そして沖縄戦後にも、標準語励行そして「不正語矯正」などの琉球諸語(沖縄方言)の抑圧は継続していたのであり、近代沖縄にとどまらず、沖縄戦後も対象時期とすることばの教育史を描かなければならないと、報告者は考えている。教育指導委員をめぐる調査研究も、報告者にとってはこの一環に位置づいている
 そのような考えは、関連する研究状況と史料状況によっている。沖縄戦後の標準語教育に言及した代表的なものである小熊英二「1960年の方言札」(小熊『「日本人」の境界』新曜社、1998年)において彼自身が注記しているように、沖縄教職員会に注目し、主に同会の史料(教研集会報告書等)によって叙述されている。沖縄戦後史の焦点は、復帰運動と施政権返還の実現にあり、前者の中心には沖縄教職員会があったから、この注目は有効なものではある。しかしながら、沖縄での教育の展開を明らかにしようとするとき、日本本土の日本教職員組合と文部省(あるいは自民党)ほどではないにしても、沖縄においても沖縄教職員会と琉球政府文教局の対立がみられたことは注目しておかなくてはならない。図式的に整理すれば、日教組と強いつながりをもつ沖縄教職員会のみに注目することでよいのだろうか。
 そして報告者は、沖縄教職員会の前身といえる諸団体の初期の機関誌や、琉球政府文教局が刊行し続けていた広報誌『文教時報』の復刻版の編集を、藤澤健一氏(福岡県立大学)とともに行なっていたから、史料的にも琉球政府文教局さらには文部省に注目することもできるのではないかという見通しも持ち得ていた。
 本報告では、日本本土の教育課程や教育実践が沖縄にもたらされる一つの経路となった文部省派遣教育指導委員をめぐって、次のような構成で報告を行なう。
1、文部省による教育指導委員派遣はどのようにして始まり、続いたのか
2、教育指導委員はどのようにして選ばれたか
3、教育指導委員は沖縄においてどのような指導を行なったのか
4、報告者にとってのこれからの課題
                             〔近藤健一郎氏 記〕

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