日時:2016月6月25日(土曜日)午後3時から5時
会場:立教大学 池袋キャンパス 12号館地下1階第2会議室
〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1
アクセス:「池袋駅」下車 西口より徒歩約7分
プログラム:近代日本における学校園―大正期の展開を中心に―
田中 千賀子 氏(武蔵野美術大学(非))
【プログラム・ノート】
本報告では、2015年の拙著『近代日本における学校園の成立と展開』をもとに、主に明治後期の「学校園施設通牒」のもとで成立した学校園と展開について論じる。
学校の自然環境に注目する教育実践は多く、とりわけ1980年代以降の環境教育は、学校園や学校ビオトープの整備を奨めてきた。さらに2006年の教育基本法改正に伴う環境教育に関する新たな規定をうけ、文部科学省が推進する「環境を考慮した学校施設(エコスクール)」には、学校ビオトープが自明のごとく設計に組み込まれている(『環境教育に活用できる学校づくり実践事例集』文部科学省、2013年9月)。
こうして学校園は、現在では学内における教材用の花壇や農園、自然体験の場として認識されるものだが、本書では、日本の近代教育が始まって以来、学校への自然物の積極的な整備が推奨され始めた際に用いられた重要な概念として位置づけた。この推奨の契機となったのが1905(明治38)年に文部省よりだされた「学校園施設通牒」であり、これに関連する制度、人物の構想、事例を、明治初期から戦前までを対象に検討をおこなった。特に影響力をもった文部省学務局の針塚長太郎、東京高等師範学校の棚橋源太郎の焦点が初等教育にあったことをふまえ、初等教育における事例に対象を絞り、主に学校園施設通牒本文、公文書、学校文書、教育関係雑誌などの文書史料を用いて、学校園に関わる教育内容を教科横断的に考察した。
なお、本書は学位論文「近代日本における学校園の成立と展開」(武蔵野美術大学/2011年9月30日学位授与)に加筆修正をおこなったものである。学校園施設通牒以後の展開に着目し、主に東京高等師範学校附属小学校、東京女子高等師範学校附属小学校、東京市の公立小学校を対象に加えた。とりわけ関東大震災後の学校園の整備においては、復興事業における小公園の計画と不可分の関係にあり、都市計画上の機能と学校教育上の機能をめぐって、複雑に展開されていったことを明らかにした(田中千賀子「東京市の公立小学校における学校園の展開」『日本の教育史学』第55集、教育史学会、2012年10月)。
こうした学校園の多様な展開について紹介しながら、今後の課題としての大正期の新教育の実践と自然環境の関係を明らかにすることの展望についても論じていきたい。
〔田中 千賀子氏 記〕