日本教育史学会

日本教育史学会は1941年から毎月の例会を開始し、石川謙賞の授与と日本教育史学会紀要の刊行を行う、日本の教育の歴史についての学会です。

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2017年12月23日(土) 第618回例会:吉野剛弘氏【プログラム・ノート】

2017年12月23日(土) 第618回例会:吉野剛弘氏【プログラム・ノート】

日時:2017月12月23日(土曜日)午後3時から5時

会場:立教大学 池袋キャンパス 12号館地下1階 第2会議室
   〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1

アクセス:「池袋駅」下車 西口より徒歩約7分

プログラム:近代日本における「受験」の成立:「資格」試験から「選抜」試験へ
吉野 剛弘 氏(東京電機大学)

【プログラム・ノート】
 発表者は、2016年2月に「近代日本における中等・高等教育制度の確立と「受験」の成立」という論文で博士(教育学)を授与された。この論文は、明治30年代から末年にかけての高等学校入試、受験準備教育機関、受験メディアなど、中学校と高等学校の接続に関わることを主な対象とし、それ以前の学校教育体系が未整備だった時期から何が変化したのか、あるいは変化しなかったのかを、送り出す側の中等教育機関と受け入れる側の高等教育機関双方の対応、さらに受験生の意識も視野に入れて、総合的に考察した。
 学校制度が整備されていなかった明治前期にあっては、入学試験は学校制度を整備するための梃子としての役割を果たしていた。高等教育機関は入学試験を課すことで教育水準を維持に務め、受験準備教育機関も中等教育機関も入学試験に通用する学力を担保するためにその水準の維持向上に努めた。その限りにあって、諸機関は同じ方向を向いていたといってよい。
 ところが、学校制度の整備とともに、入学試験という装置は引き継ぎながらも、その性格を変えることになった。その結果、同じ方向を向いていた諸機関は、その向きをそれぞれ変えていくことになった。高等学校は「選抜」を自明のものとして、選抜度の高い入学試験を維持した。予備校はそのような「選抜」により入学を果たしえない青年たちを親切なまでに支え、受験メディアは立身出世主義のメンタリティを保持する受験生を助長した。いわば「選抜」の下請けとなった。一方の中学校は、進学要求を持った青年を抱えつつも、自らの教育機関としての完結性を主張し、単なる上級学校への通過点、すなわち「選抜」の下請けであることから逃れようとした。この後の展開は、このように交錯する諸機関の思惑をいかに調整していくかということになる。20世紀の「受験」を規定する構図は、近代日本における学校制度の確立にともない成立したと結論付けた。
 そこで、本発表では学位論文の内容を中心に、その後出版に向けて加筆した点も含めて発表することにしたい。
〔吉野剛弘氏 記〕

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